Barbara Dane / Sings The Blues With 6 And 12 String Guitar

Hi-Fi-Record2011-03-24

 この日のブログで、松永クンがレコード屋で古いカントリーブルースやフォークが流れている時にボクが驚き、そして喜ぶ様について書いている。
 事実のその通りなので付け加える事も無いのだが、それにしても今だに腑に落ちない。レコード屋の女性がカーター・ファミリーを聞いていた風景を思い出すだに、不思議な気持ちになる。


 レコード店に勤める若きアメリカ人女性が、カーター・ファミリーを聞いていて何が悪いと言われれば、悪くありませんと答えるしか無いのだが、だって、それは日本に置き換えれば、店番をする女のコが"あきれたボーイズ"を聞いているようなもんですよ。いや、もうちょい真面目だな、例えば藤山一郎とか。なんだか不思議な光景じゃありませんか?


 カーター・ファミリーは、ボクには実に親しみ深い音楽である。かつて高校生の頃だったか、毎日聴いていた時期があった。いくつかの歌は聞きながらタイトルをあげる事ができる。歌える曲もある。
 彼らは1920年代の末頃からしばらく、絶大な人気を誇った男女3人組のフォーク/カントリー・グループだ。アメリカの白人音楽の根っこと教えられた。それは間違いではないが、山奥の小さな泉から湧き出た小川が、少しずつまとまりながらひとつの川を為して行くときの、その川のような存在なのだろうと思うようになった。伝統のまとめ役というか、ある時点での集大成役というか。


 70年代以降になって、彼らの音楽に再びスポットがあたるようになってのち、何回かメンバーのインタビューが撮られている。アメリカ滞在中にテレビでVTRを見たこともある。
 残念な事にメンバーの中心を成した二人の女性が、それぞれ別々にインタビューに答えていた。二人が一緒に映る映像には、出会っていない。
 二人が音楽を共にする音源も無い。
 なにかあるのだろう、二人の間を隔てるものが。


 中村まりさんが、「キープ・オン・ザ・サニーサイド」を歌ったという。 ぼくはこの歌について、一度ブログに書いたことがある。
 「キープ・オン・ザ・サニーサイド」は、決して"幸せ"な歌だとは思わない。"不幸せ"を歌うものではないが、"不幸せ"が見通せる人ではないと、様にならないと思う。サニーサイドしか知らない人には、歌えない。
 中村まりさんの静けさをはらんだ凛とした声が、さぞ響いたことだろう。彼女に似合う歌だと思う。


 歌は矛盾がはらまれている時に、歌になる。
 そんなことを考える時に、いつも思い出す歌の一つだ。
 

 バーバラ・デインが歌う「Come Back, Baby」。
 この歌を歌うにふさわしいのは、たぶん恋人が戻ってきやしない事を予感してる心の持ち主だろう。(大江田信)


試聴はこちらから。