Bert Kaempfert And His Orchestra / That Latin Feeling
ちょっと関心を持って調べてみたら、ドイツではラジオ放送局がオーケストラを擁するケースがとても多いことがわかった。
クラシックのオーケストラのほか、ポピュラーの楽曲を演奏するダンスバンドも擁している。そうして運営されたのが、ベルリンの放送局のお抱えだったウェルナー・ミューラーのオーケストラや、ハンブルグのラジオ局のお抱えだったアルフレッド・ハウゼのオーケストラなどだ。
放送局がオーケストラを持つという点では、日本のNHK交響楽団がそうだ。日本フィルハーモニー交響楽団は、かつて文化放送とフジテレビが運営に参加していた。ちなみに東京フィルハーモニー交響楽団の前身は、デパートの松坂屋が運営していた少年音楽隊である。
アメリカでも放送局専属オーケストラや専属アレンジャーが活躍した時代がある。ギタリストのアル・カイオラやヴァイオリンのハーマン・クレバノフ、そしてアレンジャーのボブ・トンプソンなどは、そうした経緯を経て独立していった人たちだ。
で、今日のテーマは、ベルト・ケンプフェルトの場合。
彼は、1950年代からドイツ・ポリドールのプロデューサーとして働いた。いち早くハンブルグ時代のビートルズを録音したことでも知られ、また自身の名前を冠したオーケストラ作品を数多く発表した。
これからもっと調べてみないと即断は出来ないのだが、どうも彼のオーケストラは、都度々々にスタジオ・ミュージシャンを集めて作ったもののようだ。トランペットのフレッド・モックのような花形プレイヤーを含め、中心になるメンバーはある程度は固定されていたものの、恒常的なメンバーによって運営されていたものではないと思しい。この点が、放送局オーケストラとは、ちょっと違う。
レコードの制作企画ごとにメンバーを集めるという方法は、ジョージ・マーチンやトニー・ハッチのオーケストラの場合と似ている。
ぼくが興味深く思うのは、オーケストラ作品を作り続ける情熱のありかだ。
50年代のロックンロールの流行以降、ポピュラー音楽の主流はビックバンドからスモール・コンボへと移り始める。コンボは機動性もいい。ツアーも楽だ。
手間もかかりお金もかかるポップス・オーケストラ音楽の担い手の多くが、ハリウッドなどの映画音楽に仕事を求めていく中で、レコード・ビジネスにおいてオーケストラ作品を作りを続けて成功した数少ない音楽家の一人がベルト・ケンプフェルトだという理解になるのだろう。
1960年代前半期のラジオ・ヒット・チャートを眺めていて気がついたのは、ベルト・ケンプフェルトのヒット曲の数多さ。「星空のブルース」「真夜中のブルース」をはじめとするヒット曲が、彼自身によって書かれていることも長く持続した成功に寄与した。
シングル・ヒットの数多さでは、あまたのポップス・オーケストラの中でも郡を抜いている。これだけ売れれば、さぞやビジネスの舵取りも面白かったに違いない。(大江田信)
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