Quilapayun キラパジュン / El Pueblo Unido

Hi-Fi-Record2011-04-27

 ハイファイの出勤前に、沢田としき回顧展を見るために、南青山の画廊に立ち寄った。朝の太陽の日射しが降り注ぐスペース、白を基調とした室内には、額装された絵やイラストが飾られ、そして映画のパンフレットや雑誌の表紙などに書いた作品は、スクラップされて手軽に一覧出来るようになっていた。


 ポール・デイヴィスのアメリカン・ナイーヴの系譜とでもいえば良いのか、絵には全く知識の無い僕でも十分に居心地が良い。わかりやすくて、楽しい。
 音楽に造詣が深かった彼のこと、アーチストを描いた作品が多い。ぼくの見知らぬアーチストが、聴き知らぬ音楽を演奏している絵が並んでいる。
 なかでも文芸誌「すばる」の表紙に数年に渡って書かれた一連の作品群が、興味深かった。ラテン、キューバなどの南米音楽が演奏されている風景が、数多く描かれている。不勉強なことに、これらの絵は全く知らなかった。
 ご本人は、キューバを旅行したことがあるという。旅行記を雑誌に寄稿している。



 なかでも最も惹かれたのが、「Fado」と題された一枚の絵だった。
 真ん中に座って歌う女性シンガーを挟んで、左にポルトガル・ギターを演奏する男性、右側にはギターを演奏する男性。ファドが歌われている光景が、描写されている。
 ファドを聴きたくなる絵だなと思った。ぼくの知らないFadoの魅力が、そこに描かれているように思った。
 ファドのCDジャケットに向いている絵なのかどうかといえば、もしかすると違うかもしれない。むしろファドという音楽を聴いたことも無い人たちが、この絵をふと見て、見も知らぬ国の人たちが演奏している音楽に、自分が抱えている悲しみや喜びと響き合う音があるのかもしれないと感じるとしたら、それこそが絵としての本望ではないかと思った。


 音楽を聴きたくなる絵というのがある、音楽を知りたくなる絵があるということが、発見だった。


 このところ自分と地続きではない場所で響く音楽に傾き気味の僕としては、たとえばこんな音楽が興味深い。
 自国チリを含めラテンアメリカフォルクローレや民衆音楽を継承しつつ再創造し、そこにコンテンポラリーな自作を加えてレパートリーとした彼ら。体から響いてくる音楽が、うれしい。(大江田信)


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