Svend Asmussen スヴェンド・アスムッセン / Hot Fiddle

Hi-Fi-Record2011-05-10

昨日の昨日のつづきを
もうすこし。


船上の幻想文学談義と見せかけて
実はビール(タダ酒)にあやかりたいだけという
ぼくの魂胆は見え透いたものだったが、
男のひとり旅って
たぶん人間を過剰にロマンチストにするのでしょう。
あっさりと
ぼくは缶ビールをゲットした。


「ヒサオジュウランが」
「キギタカタロウが」
彼が作家の名前を挙げると
頭のなかで急いで漢字の変換をした。
おぼろげにどういうひとだか知っている作家はまだしも
知らない名詞もどんどん出てくる。


そういうときに
ぼくが発明したキラーな呪文がある。


それは
「コンドヨンデミマス」というものだった。


しかしこのキラーな呪文も
さすがに何回もつづけると
効力が弱まってくる危険性がある。


それではいかんと思い、
別の切り返しをしてみた。


「最近、山田風太郎を読んでるんです」
「へえ、どのへん?」
「そうですね、「エドの舞踏会」とか「警視庁草紙」とか……」
「なんだ、明治ものかよ」


彼は鼻をフンとならして
ぼくを軽くいなした。
どうやら彼のお好みは
「くの一忍法帖」や「魔界天生」の方だったらしい。


そんなあやふやな問答でも
すっかり機嫌がよくなった彼に
もう一本ビールをおごっていただいた。


「東京に戻ったら連絡ちょうだい」
「そうですね」


携帯もメールもない時代、
おたがいに電話番号を交換して
その場はお開きとなった。


すこし酔っぱらってしまったぼくは
余計な金は行きの船ではいっさい使わないと決めていたのに
調子に乗って
自販機でカップヌードルを買って一気に食べた。


ビールを飲むと
食べ物がほしくなるのだ。


そしたら急に
それまで自分に課していた
ちまちまとしたフランスパン制限が
ひどく子どもじみたばかな了見に思えてきて
ひとりでくすくすと笑ってしまった。


結局、その船をおりてから
ぼくからそのひとに連絡することはなく、
また彼のほうからも電話はなかった。


でも
彼のおかげで
ぼくは船の上で
フランスパンだけで飢え死にしないで済んだのだ。
そのことを今
とても感謝したくなった。


スヴェンド・アスムッセンの
素晴らしいヴィンテージ10インチに収録されている
ティー・フォー・トゥー」でも聴こう。
あの夜ふたりが飲んだのはビールだけど。(松永良平