The Kingston Trio キングストン・トリオ / Tom Dooley

Hi-Fi-Record2011-07-22

 中村とうようさんと、同じバスに乗り合わせたことがある。
 かつてあった渋谷発の御茶ノ水行きというバス路線。渋谷駅東口ロータリーをスタートすると青山通りを東に進み、永田町の先で左折して靖国通りの手前で右折。神保町を過ぎて駿河台下を左折して、終点は順天堂病院の前だったと記憶している。半蔵門線が開通してしばらくして、姿を消した。


 渋谷駅前に止まっているバスの中でとうようさんと出会うと、隣り合わせに座った。赤坂の勤め先まで、渋谷から戻るためにぼくはバスに乗った。とうようさんは、神保町の編集部まで戻るためにバスを利用した。たぶん70年代の後半の頃のことだ。
 確かジョニー・テイラーの話をした。前後の脈絡は覚えていないし、なぜジョニー・テイラーの話になったのかも覚えていないのだが、とうようさんは厳しい評価をひとくさり述べた。ぼくはそれほどソウルに詳しくない。話し相手がそうと知っていても、とうようさんは手加減しないんだなと感じた。子供との卓球にむきになってしまう、家の父みたいだと思った。



 それからしばらくして、とうようさんに原稿をお願いした。
 締め切りの日になって、ミュージック・マガジンの編集部に連絡すると、出勤しておられず、今日はお休みだという。体調でも悪いのだろうか、どうしたものかとスタッフに相談すると、約束の締め切り日なのだから、原稿はどうなっているのか、自宅に電話を入れるべきだとの回答だった。とうようさんは、そのようにすべきだと考えている人なのだという。ならばと電話番号を教えていただいた。
 おずおずとお電話を入れると、「ああ、ちょうど書き終えたところだから、もう少ししたらファックスするよ。番号はなんだっけ?」と、とうようさんは快活に話された。ほどなくして原稿は、ファックスからするすると出てきた。お礼のお電話を入れた。



 ある時、とうようさんが監修されたシリーズCDの特集記事を、雑誌で企画することになった。あろうことか、シリーズ全体の紹介を僕が書く羽目になった。
 緊張しながら原稿を書いて、入稿した。雑誌が刊行されてしばらくして、とうようさんからお便りが届いたと編集担当氏から連絡があった。
 今から10年ほども前のことだったと思う。世では既にメールが当たり前になっているのだが、とうようさんから届いたのは、達筆のお葉書だった。企画の御礼と、自分ににそむくことの無い記事であったことへの御礼が書かれていた。あて先は、編集者だった。とうようさんは、筋を通す人なのだと感じた。編集氏とふたりでしげしげと葉書を眺めた。


 こうして思い出しているうちに、他にも記憶がよみがえってきたけれども、今日はこれくらいに。 


 ぼくがライナー執筆をお願いしたのは、キングストン・トリオだった。
 ちょうどこのEP盤の前後の時期のアルバムに、解説を書いていただいた。(大江田信)