Percy Faith and His Orchestra / Themes For The ”In” Crowd

Hi-Fi-Record2012-11-12

 エーリッヒ・ケストナーによる児童文学「エーミールと探偵たち」には、魅力的な食べ物が登場する。エーミールと友人達が犯人の張り込みを続けているところに、お転婆で元気一杯のポニー・ヒュートヒェンが、バターを塗ったパンの差し入れを届ける。岩波少年文庫高橋健二翻訳では、これがバタパンと訳されていた。


 初めて読んだのは、確か10歳頃のこと。読み終えるなり、早速に家にあったパンをトーストしてバターを塗って食べた。
 「エーミールと探偵たち」はドイツ文学なので、もしかするとそれはボクが食べたイギリス・パン的なパンをトーストしたものではなかったのかもしれない。大人の握りこぶし大の茶色いライ麦パンとか、薄くスライスすると美味しい黒パンとか。バタパンとして当てられた訳語から思わずバターを塗ったパンと受け取ってしまうが、バターがより多く塗られ焼かれたパンだったのかもしれない。
 しかしそんなことに10歳のボクは思い当たること無く、バター・トーストを2枚食べた。実に美味しかった。
 それ以来ずっとと言っては大げさだが、トーストにバターを塗り、口に運ぶ際には、胸の奥でバタパンという言葉が響く。


 食べ物のことを文章に記すのは難しいとはよく言われる。しかし言葉で記すからこそ美味しさが伝わるということがあるはずだ。
 言葉によって想像させられた味と、実際の味とが違うことは、充分にあり得ること。だとすればこそぼくは言葉が喚起する味を大切にしたい。実際の味と違っても良い。その幻の味を記憶したいと思う。


 レコードのジャケットと音楽そのものにも、そんな関係が成り立つ時がある。
 アルバムのジャケットには、車に乗る男女の姿。ふたりは電話の受話器を手にしている。
 自動車対象の移動無線電話システムは、1946年にアメリカ、ミズーリ州セントルイスにおけるサウスウエスタン・ベル電話会社による手動式自動車電話が始まり。その後に少しずつ進化を遂げ、1967年には自動交換式自動車電話のサービスが開始された。これが今日の携帯電話のルーツである。アルバムが発売されたのは、1965年。無線電話を持つ男女は、時代の最先端を意味するアイコンだったのだろう。
 だからといって格別に1965年の先端のサウンドとは何かを聞こうと、アルバムに向かい合う必要も無い。楽しげに会話する男女に似合う音楽って、洒落ているんだろうなあと思いながら針を落とすと、その通りの響きが聞こえてくる。ジャケットを眺めてから針を落とす迄の間の想像の時間が、流れ出す音楽への楽しいスパイスになる。(大江田信)