Stacy Phillips / Hey Mister Get The Ball

Hi-Fi-Record2013-03-13

 このところマンガについて書かれた文章を、興味深く思うようになった。週刊文春にマンガホニャラというマンガ評のコラムが毎週連載されていて、これを面白く読んでいるうちに、随分と音楽評とは違うなあと思うようになったからだ。


 両者の違いを考える。たとえばこんな例。
 音楽評では、多くの場合、音楽家の生年、音楽歴など、プロフィールに文章が割かれるが、マンガ評にはまずそれが無い。マンガホニャラの執筆者の一人、ブルボン小林氏は「『ワンピース』は有名だが、その作者の名前をさっといえる人は多くない」として、こう続けている。「特に少年漫画は作品が作者よりも強く愛されるというか、前に出てくる」。
 そしてこれに続く文章が、また面白い。「前に出てくるヒット作が一つあれば、それが漫画家の顔のようになる。(中略)演歌歌手やお笑い芸人にヒットが一つしかないのと異なり、漫画家の『顔』が一つというのは、一発屋のようなネガティブな意味をまるでまとわない」。なるほど、マンガと音楽って、ヒットの仕組みや広がり方がずいぶんと違うんだなあと思う。
 それにしてもマンガを読むときに、作者の名前は覚えていないひとが多いというのも、覚えていなくともいいからなのだろう。まして作者のプロフィールなど知らなくとも、マンガを楽しむことは存分に出来る。


 こと洋楽アルバムのライナー・ノーツには音楽家のプロフィールが書かれることが当たり前のようになっているし、ボク自身もそうした方法を踏襲して来た。自戒を込めて思うのだが、音楽家のプロフィールを記すことは、音楽作品について書くことにはならない。プロフィールを知ることと、音楽内容を聞き取ることとはまるで種類の違うことだ。
 音楽家は、自身のプロフィールという名の前歴を踏襲していくためだけに、作品を作るのではないはずだ。時には、自身の前歴を乗り越えるために、作品を作ることもあると思う。


 どうしてマンガ評が面白いのかというと、漫画というメディアの特質と近い場所で文章が書かれているからかもしれない。
 最近の松永クンのツイートにこんな一節があった。「“ムライ作品集 トリコの本棚 鳥の眼” http://htn.to/ijkCPm 。一日経ってあらためて見ても感服。漫画における“めくる”の概念の次を示唆するあたらしさだけでなく、“めくるめく”という漫画表現の醍醐味をちゃんと踏まえているからこそのおもしろさだってことも重要。」
 そうか、「めくるめく」とは「漫画表現の醍醐味」なのか。マンガの楽しさを捕まえている表現。いい言い回しだなと思う。


 残念ながらというべきか、ぼくはマンガはそれほど読まない。これまでマジメに読んだのは「新喜劇思想体系」「新さん」「美味しんぼ」くらいのもの。たぶんこんな門外漢だからこそ、マンガについて書かれた文章のあり様が面白いと感じるのだろう。とても刺激になる。


 ドブロ奏者、ステイシー・フィリップスのインストルメンタル・アルバム。ジャズもハワイアンも登場する。コメントには「他にも各国音楽を突撃訪問してます」。いいですね、こういうの。コトバとは関わらず歌える楽器のインストルメンタルだからこそ出来るレパートリーなのですよ。(大江田)