打楽器奏者の孤独

Hi-Fi-Record2013-05-18

 先日、クラシックのコントラバス奏者の方のお話を聴く機会があった。
 これまでなんとなく気になっていたいくつかの質問をして、それに絶妙な答えが返って来たのでなにより楽しかったのだが、最も愉快だったのがオーケストラ演奏の際の打楽器奏者の話しだった。彼はオーケストラの指揮もするので、オケの各パートのことも頭に入っている。
 こんなやりとりをした。

 
 「シンフォニーとかってコンバスは出番が多いけれども、シンバルとかティンパニーとかって、あんまり出番が無いよねえ。あれ、譜面ってどうなっているの?」
 「演奏の無い箇所は休符が書いてあって、休みが100小節だったら、全休符X100とかって書いてあるわけ」
 「それってただ単に全休符X100になっているの?」 
 「そう」
 「それって、どこで演奏するのか、解んなくなったりしないの?例えばヴァイオリンとか、なにか目立つフレーズを書いたり、目印を書き込んでおいたりしないの?」
 「そういう人もいるけどね。何も書いてない人も多いよ。奴らは100なら100小節の休符を数えるんだよ」
 「ただ黙って数えるの?」
 「そう」
 「へえ、すごいねえ」
 「打楽器の人たちには、それなりの休符の数え方っていうのがあるらしいんだ。それも技術のうちらしいよ」
 「なるほどねえ」
 「それよりすごいのはさ、101小節目にフォルテッシモでティンパニーを叩くとするでしょ。奴ら、自信もって叩くもんねえ。すごいよね。あれは怖いよ、間違えたら取り返しがつかないもんねえ」
 「そうだよねえ、コンバスはだいたいセクションになってるから、演奏するときには周囲の気配もあるだろうし、まぁ、解るよね。なんてったって打楽器はひとりだからなあ。
 たとえばさ、打楽器が叩き忘れるとかって、ないの?」
 「それが、あるらしいんだよねえ。そういう時って、コンサートが終わった後に、ものすごく悔しがってるよ、忘れた奴が」


 今思い出しても、なんともおかしくて笑ってしまう話しだ。100小節の休符を心の中で数えているオーケストラの打楽器奏者の孤独。


 この話しを思い返しているときに、心に浮かんだのがジョニー・ラッソだ。彼は音楽大学を卒業してのち、トロンボーン奏者としてコロラド州デンバーのオーケストラに加わった。演奏会でただだまってトロンボーンを手に、譜面を追いながら次の出番を待っていることが我慢できず、とうととう耐えられなくなって自分の編曲によるフレーズを吹いてしまい、しまいにはオケをクビになったと言っていた。「ジャズはいいよねえ、吹きたいときに思いっきり吹けるからねえ」というのが、ジョニーのジャズについてのシンプルなコメントだった。


 余談をもうひとつ。
 7月14日に武蔵小山のカフェ、アゲインで行われる伊藤銀次さんのイベントに参加することになりました。
 タイトルは「銀次の部屋」。なにやらどこかで聞いたことがあるような。伊藤銀次さんと大江田が公開対談をするというプログラムです。さてどうなりますか。
 ご案内でした。(大江田)