Simon and Garfunkel / Wednesday Morning, 3 A.M.

Hi-Fi-Record2008-04-10

 英語の歌詞を訳すという楽しみを初めて知ったのは、中学2年の夏だった。
 家の近くの一橋大学キャンパスで行われたサマー・スクールの英語の授業中のこと。サマー・スクールそのものが、大学生をボランティア教師とする市民交流イベンド一環のようのものだったと記憶するし、授業といっても英語を楽しもうといった程度の内容だったように思う。


 ここで始めて、英語の歌の意味を知った。テキストは、エーデルワイスだった。
 エーデルワイスに用いられている単語の意味をひとつひとつ板書しながら、学生教師が楽しげに全体として意味することを説明した。そして最後には、会場に持ち込まれたポータブルのプレーヤーで、ジュリー・アンドリュースの歌声を聴いた。
 そのせいか、ぼくは今でもエーデルワイスを聞くと、ひどく懐かしい思いを持つ。


 ほどなくして手に入れたレコードの歌詞カードを読みながら、繰り返し思いに耽ったのがこのうただ。
 「Wednesday Morning, 3 A.M. 」。水曜日の朝、3時。
 朝、3時は、高校受験を控えている僕にも馴染み深い時間帯だった。机の上におかれたラジオから流れているオールナイト・ニッポンが終わる時間。そろそろ寝ようかと思いつつ、ちょっとした休憩のつもりで手に取った本に読みふけってしまい、この時間がどこまでも続いてくれたらどれだけ楽しいだろうかと思い描く時間でもあった。
 このうたの歌うように、傍らに静かな呼吸を繰り替えす女性がいるなど、あり得もしない生活の毎日だ。さぞ穏やかな時間なのだろうと思いながら、ぼんやりと憧れていたように思う。まるで素敵な霧のように、枕の上に髪を広げながら眠る女性を思って。


 ただしこのうたの主人公は、幸せな環境にいる訳ではない。ささやかながらも犯してしまった罪に苛まれながら、彼女のもとを去ることを心に決めている。
 甘いだけの歌ではない。


 朝の3時というのは、例えば深淵というものを人にかいま見せる時間なのかもしれないと初めて知ったこととして、ぼくには今もこのうたが棲み着いている。
 (大江田信)



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